後世の社会史研究者が本書を元に『チーズとうじ虫』のような本を書けるかも知れない(評価: )
思い込みの激しい、強引な推論が重なるので途中何度も投げ出しそうになったが、結局2週間ほどかけて上下巻を読了した。内容は、副題の通り。
敗戦直後、国家神道の解体や天皇の戦争責任回避、マッカーサーの思い入れなどが交錯する中で、天皇のキリスト教改宗が議論の俎上に上ったことは事実だろう。当時の状況では、西洋文化に親和性のある人材が政治の中枢に引き入れられやすく、クリスチャン比率も高まっただろうから、日本をキリスト教国に…という空気が相当の範囲で醸成されていたとしても不思議ではない。
しかし本書は相対的に堅実な方向での検証に留まることなく、GHQ占領下の日本で天皇の劇的なカトリック改宗を演出すべく、1949年6月の「ザヴィエル渡来四百年祭」開催と抱き合わせた陰謀が具体的にあった、と踏み込む。それが冒頭で描かれる「別府事件」であり、本書の全体が、この陰謀が現実にあったという前提の下で初めて許容されるような語調の激しさに彩られている。ところが、本書の支柱となるはずのこの「事件」に、直接的な証拠は何一つ示されない。
要するにここには、状況証拠により特定の「出来事」を「事件」化し、この「事件」を前提に状況証拠をさらに深読みするという自己増幅的な循環がある。孤独な思索者が、一種のハウリング現象に囚われてしまったと言うべきだろう。
ただそれでも、私は本書に幾許かの真実はあると思うし、市井に生きつつともかくも自力でここまで資料を集め、考え抜いた著者のある種の強靭さを、無碍に貶めたくはない。
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