著者の述べていることは冷静で正しく,学ぶことも多かった。しかし…。(評価: )
インターネットが普及し始めてから約10年が経過し,いよいよ世界にインターネット技術が浸透してきたという昨今。しかし,著者はその技術の進化を理想主義的な視点からではなく,過去の歴史的な事柄を踏まえて,極めて冷静に分析している。そして,その分析は確かに正しいと思われる。
まず最初に,現在のインターネット技術の普及は,20世紀初頭の電気の普及に似ているという著者の指摘は,なるほどと思った。電気が普及し始めた頃,当時の人々は,電気を使えば何でもできるというある種の理想主義的な発想を持っていた。そして,電気は確かに今までできなかったことを可能にはしたが,「何でもできる」というまでにはいかなかった。現在,インターネットがあれば何でも出来るという幻想を抱いている多くの人々に対して,著者は「そんなことはない」と異論を投げかけている。また,インターネットの普及は利便性の向上に繋がると同時に,私たちは今まで以上に監視された社会で生きていくことになると警鐘を鳴らしている。私たちがインターネットで何かを検索したり,あるいはブログに日記を書いたりすることで,第三者がその人物を特定し,プライベートな情報を意図も簡単に開示できてしまうことを問題視している。そして,コンピューターを使って利便性を得ようとしている人々が,実はコンピューターに使われ,自分自身の生活をコントロールされていると述べ,今後それが益々ひどくなるだろうと述べている。つまり,著者の考えでは,インターネットは決して良いことばかりでなく,人間の人間としての生活を変化させ,場合によっては悪い方向へすら誘う可能性があるのだと極めて冷静に分析しているのである。
私は,著者の述べていることは正しいと考える。しかし,残念ながら,その上で著者の意見に同意できない。なぜならば,著者の意見はあまりにも冷静すぎるからである。確かに,現在インターネットという革命が起き,人々は理想主義的な発想に踊っている。梅田望夫の「ウェブ進化論」をはじめとする多くの著書は,これからインターネットで世界が大きく変わることを喧伝している。そして,未来に対する多くの夢を語っている。確かにそれらの夢の多くは,夢でしかないかもしれない。実現されないかもしれない。しかし,私はそれでも良いと思っている。なぜなら,今は「夢を語る時期」だからだ。インターネットの革命により何が起こるかわからないという期待と不安は確かにある。しかし,その可能性を信じて,大いに夢を語ることの何がいけないのだろうか。私自身は,梅田望夫氏が述べているような明るい未来を信じたい。たとえ,そうならなくても。そう考えることで,生きるモチベーションが格段に高まる。この本の著者が述べていることは,真逆で,とても懐疑的である。例えるならば,試合で優勝したチームに対して,「次は勝つかどうかわからない」と冷水を投げかけているようなものだ。一緒に勝利の美酒に酔おうとはせず,それを傍観している。そのように感じる。
少なくとも私はこの本を読むのに疲れたし,読み終わってモチベーションが下がった。著者の述べていることは冷静で正しく,学ぶことも多かった。しかし,著者のような考えでは,インターネットは怖いものとなり,使えないものとなり,最終的に私の生きるモチベーションは下がる。間違っていても良いから,夢見る少年のような心を私は持ち続けたいと考える。
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