題材も論調もカオス(評価: )
手法としての統計学ではなく、思想としての確率論の視点から、人間の判断のありようや、世界の不確実性を説き、浮き世は「まぐれ」と「こじつけ」に溢れていると断じるアカデミック・エッセイ。論じられている対象がカオスなら、論じている本人もカオスである。何せ著者は著名なトレーダーである一方で、哲学に文学にファイナンスを修めた大学教授でもあるらしく、自身の投資経験とそこで見聞きしてきた生身の人々の悲喜劇を、雑多な理論や格言で凝り固めて読者の前に盛り付ける。しかもたっぷりの毒舌ソースで味付けした上でだ。山っ気にまみれたトレーダーのひしめく世界にあっては間違いなく学術肌のひねくれ者だろうし、一方で学者の世界にあっても、研究室では得がたい生きた人間行動や確率事象のサンプルを浴びてきたという意味で稀有な存在なのかもしれない。
歴史は過去から学ぶことを教えてくれるし、確率は将来から学ぶことを教えてくれる。しかし、人はどちらからも学びがたい。私たちは見えるもの以上のものを見ようとするし、そのくせ見えているはずのものを見ようとしない。偶然を認めることは一種の勇気であり、偶然を考慮しないことは勇気ではなく蛮勇である。こうしたことの理論的な裏づけを、哲学や統計学や行動科学からこれでもかというほど引用し、具体例も豊富に示してくれる。
ただ、その具体例が金融商品の取引に偏っているきらいはある。数字や確率で論じやすい対象のため、例証としては最強なのだが、投資になじんでいる人ばかりではない一般への訴求度という点では必ずしも最適ではないかもしれない。そのため、投資のように利得や確率を定量化するのが困難な人生や生活面での課題に応用するのは容易ではないが、問題の本質的な構造を明示してくれる点で非常に有意義である。
「私の唯一の強みは、自分の弱みを知っていることだ。」と著者は言う。本当に賢い人とは、自分が賢くないと分かっている人なのかもしれない。これは「無知の知」にも通じる。人間が愚かなことも世界が不確実なことも抗いようのない現実だが、著者は安易なニヒリズムには陥らない。宗教も確率論も無かった時代に人々が不確実性に立ち向かうよすがとしたストイシズムを、毒舌も乾きかけた巻末になって「美意識」の観点から推奨しているのは誠に示唆的だ。
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