久々のゴー宣風味が炸裂(評価: )
ゴー宣と言えば、知識人の空虚な意見をこき下ろす事と
珍妙な似顔絵。久しくおとなしかった要素が炸裂。
「バカデミズム」と名付けられた学者の強烈な似顔絵を
発言と合わせる手法は、やはり笑ってしまう。
そして相当な勉強を重ね、真実に忠実であろうとしている。
ここまで一人で戦い抜くその度胸に、まず感服する。
結局の所、ゴー宣は初期から「反知識人」だった。
詩のような無意味な主張を繰り広げ、何の意味があるのか。
そうした旧来の「知識人」は、最早力を持たない。
小林は今でも、自身は「知識人ではない」と
思っているのだろうし、信頼できる知識人に
出て欲しい、自分のような漫画家がやらずとも
良い状況を願っているのだろう。
それは小林ファンでない人も含め、多くの人が
潜在的に望む事だと思う。
無意味な上に、冷静を装った、
本質的を装いながら本質から遠く離れた
「プロパガンダ」は、もういらない。
「政治的プロパガンダ」を行っているのは、
やはり中島のような類の人間だろう。
彼らこそが、実は戦後日本の「体制派」なのだ。
最後に、パール判決書のこの箇所は、
小林のやって来た事の説明に良いのではないかと思う。
「もしその人が自己の意見について
輿論の支持をうるに成功したとすれば、
それに成功したのはかれの功績である。
この目的のために、なんらかの不正手段が
とられたというような主張は全然ない。(中略)
かりに同博士(大川周明)の意見はきわめて容易に
大衆に受けいれられるものだったとすれば、
それは、その他の要因が日本国民の生活に
働きかけていたために、
すでに博士の意見を受けいれる素地ができていたからに
ほかならなかった。」(共同研究パル判決書下 469-470)
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