永遠を見た悪魔(評価: )
心理学者で有名なユング博士が大のお気に入りだったゲーテの「ファウスト」であるが、一部にこの書物は、オカルティズムとも関連が深いと言われることがある。しかしながら、それを読解できるのは非常に稀なことであり、殆どの人はそのような読み方をできないという評を、哲学・心理学・宗教学・オカルトなどの各書籍で見つけることができる。 さて、この書物はゲーテのライフワークであったことは確かであろう。 彼の青年の頃から書き初め、死の直前まで書き進められた、その最初と最期に深い意味がある。 よく言われることであるが、ファウストもメフィストフェレスも同様にゲーテの分身であるということである。 若き神学者であり哲学者のファウスト博士は、この冒頭で眼前に偉大な何かを見つつ、それと決別せねばならない。 「もう神も悪魔も恐くはないが、私には生きる楽しみが無くなってしまったのだ。」と言い、毒杯を仰ごうとする彼は、青春があまりにも早く過ぎ去ったと嘆くツァラトゥストラを彷彿させる。 実は彼はこの決別に絶望しつつも、悪魔と契約し没落することで生命の素晴らしさを再び探求する旅に、今出かけるところなのだ。 生命を謳歌し満喫する為に、彼は悪魔と同属とならざるを得ない。それもまた絶望である。 さらには彼は、若い娘に神について説教され、それを悪魔に揶揄される。 「神についての専門家が、逆に説教されてしまいましたね。」という言葉には、一体何が隠されているのだろうか。 この作品は、少なくとも二重の読み方ができる。 簡単にファンタジーを楽しむか、それとも永遠を見たゆえに悪魔と契約しなければならない神学者の姿を見るかである。
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